2025/01/31セキュリティソリューション

『活用の兆しを見せる量子鍵配送』

twitter

Linkedin

『活用の兆しを見せる量子鍵配送』


執筆:CISO事業部 中村 和之

 以前執筆した『耐量子計算暗号』を何度も読み返すうちに、格子暗号などの暗号手法だけでなく、実際に活用するための鍵生成や暗号化・復号のアプローチ、さらには実用レベルについても掘り下げる必要があると感じました。そこで、以前メモに書き留めていた内容を改めて整理し、記事としてまとめてみようと思います。

 

 『耐量子計算暗号』の記事を執筆した際、どこか物足りなさを感じていました。その原因は、量子計算機時代における安心・安全な暗号化方式にばかり意識が向き、通信への具体的な活用方法や現在の実用化レベルについて触れていなかったことに気づいたからです。そこで、頭の中がすっきりする一方で、すぐに次の記事を書かなければという思いが込み上げ、思わずメモを取り始めたのを覚えています。少し時間が空いてしまいましたが、今回は耐量子計算暗号の活用方法と現在の実用化状況について、調査・考察した内容を記事にまとめたいと思います。

 まず、本記事で取り上げる**量子鍵配送(Quantum Key Distribution: QKD)は、理論上、どのような能力を持つ第三者(盗聴者)にも情報を漏らすことなく、暗号鍵を2つの拠点間で安全に共有する技術です。これは1984年にベネット(C.H. Bennett)とブラサール(G. Brassard**によって発表されました。簡単に説明すると、01の乱数列の情報を量子力学の原理に基づいて符号化し、盗聴の可能性があるデータを除外することで、安全性を確保する仕組みです。シンプルに説明したつもりですが、やや分かりにくいかもしれません。

 つまり、耐量子計算暗号の実用化には、暗号鍵が盗聴されず、高性能な計算機によって解読されないこと、そしてその鍵を安全に管理することが重要です。そこで、実用化において重要な役割を担っている**量子鍵配送(QKD**に、現在大きな注目が集まっています。

1.量子暗号の概念図

出所:大塚 浩昭「量子鍵配送」を基に作成(20231027日 初版発行)

 要は、これまで通信機器内で生成していた暗号鍵を、QKD専用機器間でワンタイムパッド方式(一度使用した鍵を再利用しない方式)を用いてやり取りし、その鍵を通常の暗号化・復号通信で使用する仕組みです。従来と異なる点は、交換される鍵が量子力学の特性に基づいて生成されており、どれほど高性能な量子計算機であっても解読不可能な鍵を使用していることです。

 商用化に向けた取り組みとしては、2005年にアメリカ国防省・国防高等研究計画局(DARPA)の支援を受け、「The Quantum Network」というプロジェクト名でボストン地区にQKDネットワークが構築されました。さらに、2008年には欧州連合の研究開発プロジェクトSECOQCがウィーン市内に6拠点を結ぶQKDネットワークを構築するなど、各国や機関が実用化に向けた研究・実験を活発に進めてきました。

そして、2025年現在では衛星量子暗号通信の成功も報告されています。これは、いわゆる低軌道衛星と地上局間でQKD通信を実現したという内容です。

2.衛星量子暗号化通信の概念図

出所:Newton Press.Newton大図鑑シリーズ 量子論大図鑑」を基に作成(2023630日 初版発行)

 ここまでを振り返ると、「もうすぐ商用化が実現するのではないか?」という期待感が湧いてきます。しかし、量子鍵配送(QKD)には依然として大きな課題が残されています。最大の課題は、量子暗号の信号が非常に微弱であるため、光損失の影響を受けやすく、一定の伝送距離を超えると鍵の生成が不可能になる点です。さらに、現在使用されている中継増幅器は量子暗号通信には適用できないため、新技術の実用化と、それを搭載した機器の開発が進まなければ、商用化は難しいと言われています。

 このような状況を踏まえると、2030年にはRSA暗号(巨大な整数の素因数分解を基盤とした暗号方式)が安全ではなくなると予測されている現在、新技術や対応機器の開発、既存中継増幅器の置き換えといったインフラの刷新が必要となります。しかし、ネットワークとセキュリティの大規模な見直しを短期間で実現するのは、スケジュール的に厳しいのではないかと懸念せずにはいられません。つまり、既存の暗号環境が脆弱になる期間が必ず訪れるということです。

 特に懸念されるのは金融業界でしょう。金融のデジタル基盤は、安全で強固な暗号化技術によって守られています。だからこそ、この問題を「遠い未来の話」と捉えるのではなく、社会の動向に常にアンテナを張り、技術革新を先読みしてタイムリーに対応する姿勢が求められています。

 とはいえ、新技術の開発に具体的な目処が立たない現状では、指をくわえて待つしかないのかもしれません。その背景には、極めて繊細な原子の動きを正確に制御し、振動を同期させるという難題があります。最終的には、多くの国家、企業、研究者たちが立ち止まっている**「干渉の消失(デコヒーレンス)」**という壁を、いつ・どのように乗り越えるのかにかかっています。

【プロフィール】

中村 和之(なかむら かずゆき)

 2024年にデジタルアーツコンサルティング株式会社(DAC
 ※2024/4よりアイディルートコンサルティング株式会社(IDR-C)へ社名変更

ヒューレットパッカード、パロアルトネットワークスを経て、ITインフラ・サイバーセキュリティの分野においてコンサルタントとして活動。最近では、多岐に渡るセキュリティ製品を顧客要件に応じて適切に組み合わせる知験作りにフォーカスした活動に注力しています。

twitter

Linkedin

コラム一覧に戻る